木と子育てと親育ち

1.子供たちに私が今できること

 
2007-03-17 に書いた記事より
 

ここ最近、木青連フォーラムの企画をしながら、
子育てや環境問題のことに思いを馳せる時間が、思った以上に長くなっています。
それによる心境の変化なのか、行動も徐々に変わりつつあるように感じます。

今週の月曜日、12日は、三年前に他界した祖父の命日でした。

その一日前の日曜日、ある思い付きを行動に移すことにしました。

私は、我が子三人(小学校低学年二人と幼稚園児一人)を連れ、

車で10分ほどの近場の杉山に向かいました。

そこは、祖父が若い頃初めて購入した山であり、

我が家は50年ほど前に、その山の木で家を建てたのでした。

50年生の木立の中に点在する樹齢80年を超えた、

ひときわ大きい残し木に日本酒をかけて、

みんなでお祈りをした後、こう伝えました。

 

「人は精々80年ほどしか生きられないけれど、

 木は長生きするんだよ。

 何千年も生きている木がいるんだから。

 この樹はいま80歳。

 お前たちが、お父さんくらいになったら、

 どのくらい大きくなっているかな?

 お父さんがまだ小さいとき、

 おじいちゃんにも同じこと聞かれたな。

 おじいちゃんが死んで3年が経ったけど、

 今もこの木と一緒に生きている気がしない?

 お父さんの心の中にはおじいちゃんがまだ生きていてね、

 悩んだりしたとき、一人でこっそりここに来てるんだ。」

 

 子供たちはホントだね、と笑いながら山の頂に向かって、

 「おじいちゃん、また来るね!」と叫びました。

 また、大人になったら自分の子供を連れてくるとも。

 子供たちは自ずと学ぶものですね。

 そして、両手を振って元気よく、

 さよならを言って帰ってきたのでした。

(以上、木青連フォーラム出演者への手紙より抜粋)

 

なんだかきれい事で、気恥ずかしいのですが、
今できることをやらなければ、という気になってきました。

日々の生活の中に、ちょっとだけ工夫すれば、子だもたちを健やかに育て、

環境を守っていく方法があるのではないか、と感じるようになりました。

今回の木青連フォーラム、

『地球温暖化を考えるフォーラム2007

 「木で学校をつくるということ」

が、そんなきっかけづくりになったらいいな、と願っています。

 
 
 

2-1.おうちとおわかれ

 
2007-12-12 の記事より
 

突然なのですが、実は私、明日引っ越しをします。
今年の年間ビジョンの一つ目に上げていた
「弥栄の家づくり・・・己の生活環境のイヤシロチ化」をひとまず形にしたのです。
とはいえ、当初思い描いた姿とはまったく異なります・・・
重たくなりそうなので、それはまた改めて書くことにして(笑)、
今日は引っ越しにともなう近況でも。。。

 

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今朝も子供部屋から目覚まし時計の音が聞こえてきた。
時計を見ると5時30分。いつもより30分早い。アラームはすぐに止まった。

「ホントに起きたよ。すごいね、あの子たちは。」
・・・「ほんと、ホント。」
 私たち夫婦がふとんの中で感心していると、
まもなく洗面所へ向かう足音が聞こえた。

昨夜の「おやすみ」の前、「明日は5時半に起きるけん。」
と娘たちは自信たっぷりに言った。
訳を聞くと、
公文の宿題を二日分こなし、景色見おさめのための朝の散歩がしたい、
そのためには、宿題60分と散歩に30分が必要だから、逆算すると起床は5時半になる、
と考えたようなのだ。
(ちなみに、宿題が二日分なのは、明日の朝は、祖母の家から学校に通うため、
この日でなければすることはできないと判断したらしい。)
本当にできるのだろうか?そんな驚きもあったが、
自分で考え行動できるようになっただけでも上出来ではないか。
そう思いながら就寝したのだった。
そして今朝、彼女たちは自分たちの決めた工程を粛々とこなした。
たいしたもんだ。(笑)


「このおうちで食べる朝ごはんも今日で最後だね。
お引っ越しはうれしいけど、でもちょっと寂しい感じがするね。」


いつもより早めに始まった朝食の際、長女がポツリと呟いた。
私も同じ思いである。昨年の9月に入居して一年三か月。
短い間ではあったが、この家には本当にお世話になった。
六月の木青連フォーラムの際は、企画趣旨説明としてこの家を題材に使用した。


毎朝 妻が見送る中、子どもたち3人の「行ってきま~す!」と共にこの家を出る。
今日でそれも終わりか。。。そこで、今日は家に向って皆でお礼を言った。

「ありがとうございました!お世話になりました!」

元気な声で、深々と頭を下げる子供たちを見ながら、なんだか温かい気持ちになった。

モノにも心があるのだと信じて、あの家にもう一度お礼を言おう。

短い間でしたが大変お世話になりました。
心より感謝しています。ありがとうございました。

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3-1.住まいが子どもの心を変える?

 
2007-12-12 の記事より
 

(以下、2007-06-09木青連フォーラム企画趣旨説明での原稿より一部を抜粋)


…。一昨日、G8サミットで2050年までに二酸化炭素の排出を半減するという合意がなされ、
京都議定書に参加していないアメリカも含め、温暖化の問題は、世界共通の課題である、
という認識が広がっています。
京都議定書における我が国のCO2排出削減目標は6%、そのうちの約2/3にあたる3.9%は、
森林による吸収に期待されています。

そのような風を受けて、木材業界の一員である私も、
木の家をつくろう、森を守ろう、と言っておりましたが、
今回の企画をしながら気づいたことがあります。

 

実は私、昨年の8月まで鉄筋コンクリートの住まいに住んでいました。
私には、小学3年生と2年生の娘が二人と、幼稚園児の息子が一人、
の計三人の子供がいます。
子供たちも大きくなりましたし、家も手狭になったので、
歩いて3分ほどの近場に引っ越したのです。
どこにでもある築20年くらいの小さな木造の平屋です。

引っ越して九ヶ月あまり経ちますが、家族に変化が生まれました。
泥がついた新鮮な野菜をもらっても、面倒くさそうに洗っていた妻が、
今では土をいじり始めました。
駐車スペース脇の小さな花壇に、シソやネギ、ハーブなんかがあります。
先日は、学校からもらってきたオクラの苗を子どもと一緒に植えていました。

 

子供たちも変わりました。
休みになると、ジャスコ連れてって、ゆめタウン行こう、と言っていたのが、
暖かくなり生い茂った雑草を見て、
「草むしりしようや。」と子供たちだけで、家の周りの草取りをはじめました。
そうしたら、近所のご年配の方たちが声をかけてくれるようになったんです。
「あなたたち、偉いねぇ」って。
それからというもの、隣のおばさんは、玄関からじゃなくて、
子ども部屋の縁側のガラス窓をコンコンと叩いて、
「ほらっ、アイスクリーム買ってきたよ、食べんね。」と訪ねてくれます。

先日の夕方は、一番下の息子がいないので、慌てて探していると、
ご近所の80歳くらいのおばあちゃんと、網を持って、モンシロチョウを追いかけていました。
片付けをしなさい、と言っても、なかなか言うことをきかない子供たちが、
今では、食器洗い、廊下の雑巾かけ、玄関掃除をしてくれます。
嬉しいものですから、夫婦の会話も自然と増えました。

 

とにかく、私たちは何も変わってないのです。
引っ越したと言っても歩いて3分くらいのところですし、学校も一緒です。
住む箱以外は「何も」変わっていないのです。
古民家なんて特別なものではなくて、ホントにどこにでもある木造の平屋です。
 
箱が変わるだけで、こんなに暮らしが変わるんだったら、
一体、学校はどうなるのでしょうか・・・
今回のフォーラムのテーマである「木を学校でつくるということ」を企画しながら、
なんだかワクワクしてきました。

今日の話は、学校のことだけではありません。
環境問題や教育問題といった一見スケールが大きい課題も、根っこは一緒です。
それは、次の世代に、何を、どう継承していくか、ということだと思います。
では今、私たちにできることは何なのでしょうか?
今回のフォーラムは、
日々の生活を変えてみる、すると自分たちが楽しくなって、環境も良くなる、
そんなきっかけづくりをめざいしています。

 

3-2.「住い」は「人の心をつくる」

 
 
2007-04-20 の記事より
 

今回の木青連フォーラムのタイトルは、「地球温暖化を考えるフォーラム2007」

そしてテーマは「木で学校をつくるということ」とした。

つまり「環境」そして「教育」への閉塞感をなんとかしよう、という企てなのは間違いない。

それでは、その閉塞感とはどこからやってくるのだろうか?

おそらくそれは、未来のことを憂いて初めて、肌で感じることだと思う。


「今から30年後、我が子が私と同じ年齢になったとき、
 いったい、どんな世の中になっているのだろうか・・・」


この「世の中」への不安とは、
「人」と「自然」への不安と言い換えられるのではないかと思う。

先月、「多生の縁」という本を読み、面白いことに気づいた。

この、僧侶であり芥川賞作家である玄侑宗久氏と九人の方々との対談集の中から、

元日本医師会会長 坪井栄孝氏のところを抜粋したい。

 

(抜粋始まり)

玄侑:人間の欲求の中で、睡眠欲と食欲と、普通は性欲といいますけれども、
   そうではなくて「コミュニケーション欲」というものが
   最後まであるのではないかと。
   (中略)
   「出来れば死んでいく時は、
   もっと気持いいコミュニケーションを感じながら死にたい」
   という思いがあるんですね。
   (中略)

坪井:「中陰の花」の書評に石原慎太郎さんが、
   キューブラー・ロスのことを書いてますね。
   四段階とも五段階ともいわれる死への段階の中で、
   コミュニケーション欲みたいなところに最後は到達するといっている。

(抜粋終わり)

 

これは、とても説得力があると感じた。

息を引き取る寸前に、仮に意識があるならば、
空気や睡眠、まして飲食物を欲しがるだろうか・・・

もしも自分であれば、おそらくダイイング・メッセージを残そうとするのではないか・・・

そう考えると、「コミュニケーション欲」というものは間違いなくある、と思えてくる。

そこで仮説を立ててみた。

「現代の日本は、「コミュニケーション欲」に満たされていないのではないか?」

すると、私が惹かれる「民家」と「木造校舎」に共通する魅力が鮮明に浮かび上がってきた。

それは、人と人とが良好なコミュニケーションをとっている様をイメージさせ、

と同時に、人と自然とがうまく共存している姿を連想させる、からではないだろうか。

理屈ではなく直感で。おそらく幼児体験があろうとなかろうと。

言い換えるならば、どちらも二つの座標軸の交わるところにある、と言えよう。

二つの座標軸とは、

人と人とのコミュニケーション」という座標軸と

人と自然とのコミュニケーション」という座標軸だ。

沖縄本島で唯一の重要文化財民家 中村家住宅で見た言葉が思い起こされる。

「人は住いをつくり 住いはそこに住む人の心をつくる」

これを拡大解釈してみると、

エコロジーな家をつくれば、ライフスタイルはエコロジーなものになる、とも言えるし、

人との和を大切にしたいのであれば、そうなるような住まいづくりが必要だ、とも言える。

住宅も学校も住いである。

「住い」は「人の心をつくる」ということを忘れてはならない。

 
 

4.あの子もこの子もみんなの子

 
 
2007-04-23 の記事より
 

先日の「住い」は「人の心をつくる」の続編です。

今日はまず、松下幸之助翁が昭和41年に書かれた文章から紹介したいと思います。

(抜粋始め)

『 住まいは 人間形成の 道場 』

孟子の言葉に、「 居は 気をうつす 」 というのが あるそうだ。

つまり、 住まいというものは、そこには住む人の心を変化させ、

一つの性格を 形づくる力をもっていると いう意味である。

たしかにお互い人間は、

幼いときからの日々の生活習慣を 通じて、いろいろと物事を学んでいく。

あるいは、感化を 受けていく。

その 生活環境の中心が 住まいであって、

だから住まいというものは

人間形成に大きな影響を与えるものだと思うのである。

したがって、私は 住まいというものを

単に 雨露がしのげ、

心身の置きどころになれば良いと考えるのではなく、

さらに進んで、

人間を練り 鍛える 道場、

人格の成長をはかる場所という観点から これを重視するとともに、

最新の注意をもって 住まいづくりを 心がけねばならない!と思っている。


                昭和41年11月 9日

                                松下 幸之助 

(抜粋終わり)

「住い」は「人の心をつくる」は、「居は気を移す」と同じ意味の言葉だが、
原典に遡る際、注意が必要だ。

「居は気を移す」は「氏より育ち」や「孟母三遷」と連なる考え方だと言われている。

しかしながら、「孟母三遷の教え」には多少なりとも疑念があった。

「孟母三遷の教え」:
初め墓所の近くに住んでいたところ、孟子が葬式の真似をして遊ぶので市中に引っ越した。
ところが今度は商売の真似をするので学校の近くに引っ越した。
すると礼儀作法を真似たのでそこに居を定めた。


現代の日本において、学校の近くに引っ越したからといって、
果たして礼儀作法を真似るのだろうか・・・という疑問はさておき(笑)、
先日紹介した「多生の縁」の中に、日月庵主管 松原泰道氏と玄侑氏との対談があり、
共感できたのでご紹介したいと思う。

 

(抜粋始め)

玄侑:親のエゴと普遍的な愛との区別は必要だと思うのです。
   たとえば「孟母三遷の教え」という故事がありますよね。
   孟子のお母さんが、子どものために教育環境のよいところへ次々と引っ越した。
   すばらしい母親の話ということになっていますが、あれもエゴではないですか。

松原:本来なら、環境が悪ければ、
   よくなるようにはたらきかけて変える努力をすべきでしょうね。

玄侑:子どもによい環境へ逃げているだけですから、非常なエゴですよね。

松原:このごろ言わないけれども、子どもの日の最初の標語で、
   「あの子もこの子もみんなの子」というのがありましたね。
   あれが一番仏教的だと思います。

(抜粋終わり)

 

ここには見落としてはならない、大切なことがあると思う。

それは、数年前によく聞かれた「健康住宅」という言葉にも通じる疑念である。

家族が心身ともに健康となる「住い」を「つくる」ことには何の異論もないが、
それが前面に出て来るというのはいかがなものか・・・

自分だけがよければそれでいいのか、人間だけがよければそれでいいのか、
という疑問は拭えない。

「人と人」の中には「自分と家族」「家族と地域社会」といったものが包括されている。
さらには「人と自然」というマクロな関係がそこにはあって、それらが必要十分な関係で
コミュニケートされていなければならない、と感じるのは私だけではないはずだ。

一側面からのみ「居は気を移す」を見るのは危険である。

「あの子もこの子もみんなの子」を受け入れた後に消化したいものだ。

「自らの子を愛する心の深い人はまた他人の子をも同様に愛し得たのである。」 
                                         宮本常一「家郷の訓」より

 

 

5.生火のある暮らしは人を笑顔にする

 
 
2008-04-03 の記事より
 

先日の日曜日(3月30日)は、

JMRA九州の民家塾に親子で参加してきました。

今回は、生火のある生活を体験しようという試みです。

薪を割り、竈でご飯を炊きながら、ソーセージづくりをしました。

会場となった福岡県筑前町のふれあいファーム。

昭和20年代後半の農村を再現した施設で、
茅葺の母屋のほか、馬屋、水車、炭焼小屋があります。

はじめチョロチョロなかパッパ…

と順調にいったわけでもありませんが、ご飯は上手に炊けました。

お焦げにかぶりつく我が息子。

この味を覚えていてほしいものです…

ソーセージづくりは思ったより大変な作業でした。

肉を挽く。味付けをしながら捏ねる。

そのあと腸詰め(太めの豚と細めの羊の二種類)。

お湯を70度に調節しながら20分ほど茹でる。

さらに燻す。(今回はヒッコリーのチップを使用。)

仕上げに炒める。

生火使いのフルコース…といった感じでした(笑)

それに、木・火・土・金・水(もくかどごんすい)全てが必要ですね。

今回の企画には、強い思い入れがありました。

というのも以前、若い方々と囲炉裏端談義をしていて、

驚いたというか、気付かされたことがあったからです。

彼らは、炭(すみ)と煤(すす)と灰(はい)の区別がつきませんでした。

考えてみれば、現代の生活は生火に接する機会がありません。

生火といってもガス火、もしくは煙草で見るくらいでしょう…

オール電化ともなるとモノを温めるのに人差し指一本で事足りる…

確かに便利で安全な良い世の中なのかもしれません。

消防団活動をしながら全てを失ってしまう火事の怖さも実感しました。

とはいうものの… 生火を使えないままで良いのでしょうか…

正直なところ、そんな危機意識が芽生えてきたのです。


「自分の子供たちは、
 木を燃やして調理する、暖をとる、という根源的な文化をいつ知るのだろうか…
 キャンプで体験するのが関の山なのか…
 もっと日常の中に、密接にあったことを経験させなければ…」

我が社の工場にある休憩室は、今もダルマストーブが活躍しています。
正月休みになると、そのストーブの上で、子どもたちと餅を焼いて食べます。
気持ち良い暖かさですし、美味しいですし、子どもたちは大喜びです。

でも…

そんな楽しさを、現在の住宅では、なかなか味わうことができません。

手間、環境、法律、ライフスタイル、様々な障害があるのだと思います。

せめて…

薪ストーブを身近に使えるようになりたいものです。

 
 
             

6.杉の端材でマイ箸をつくろう

 
 
2008-07-10 の記事より 
 

先週のことですが、地元の小学校3年生が「町探検」で訪ねてきてくれました。

子供たちからの5つの質問を事前に先生より伺っていました。

1. いつから製材所をやっているのですか?

2. 木はどこからやってくるのですか?

3. 木はどこに行くのですか?

4. どうして久喜宮(くぐみや)には、製材所が多いのですか?

5. 一日に何本くらいの木を製材しているのですか?

本質的な、なかなか良い質問ですよね♪

そこで、

昔は、筑後川が木を運ぶ道だったことを、写真を見せながら話しました。

子供たちも先生も、これ↓には「おお~っ!」と歓声をあげてくれました(笑)

↑写真…「筑後川を道として 日田の木流し、筏流し」(竹島真理著/不知火書房)より

(この本についての私のレビューをアマゾンに投稿しています。)

山・川・海は一つながりの風景である、ということ。

そしてそれは、地域の特産品など生活や文化にも大きく影響しているということ。

など、木を通して感覚でつかんでくれればいいな…と願いながらの説明でした(笑)

ちなみに、私たちの住む地より上流に夜明ダムができたとき筑後川の「川の道」は途切れました。

一通り質問に答え終わった後、今年は「杉の端材でつくる”マイ箸”」体験をしてもらいました。

まずは、杉の端材から7ミリ角(年輪が5本入る目細なもの)を準備しました。

つぎに、子供に掌を広げてもらって、親指と小指の長さに1センチほどプラスした長さにカットします。

(一人づつ長さが違ってくるので面白いかな…と思いまして。)

その後はひたすらペーパーで削ってもらいます。

角を丸めたり、表面をツルツルにしたり、

それから、私が小刀で先端を細く削ってあげます。

その後はまたまた、ペーパーで削り続けます。

所要時間は50分ほど。

結構、みなさん喜んでくれました。

噂を聞きつけてか、お箸をつくりたいと、放課後子供たちが訪ねてきてくれます(笑)

これって、「木育」というらしいです。

ちなみに、「マイ箸」を国産木材の端材でつくってもらおう!というアイディアは、
大阪の木青会の皆さんが発案されました。

伊太祁曽神社の奥さんのブログにも紹介されています。

 
 
 

7.木で学校をつくるということ

 
 
2007-03-01 の記事より 
 

このブログを書き始め、今日で一年が経過。
当初の日記を読み返しながら改めて思った。たいして変わってないですね。
我が子の一年前と比べるとノビシロの違いに愕然とする。気をとりなおして(笑)、と。


これまで何度かお伝えしてきた木青連フォーラムの企画趣意書がようやく昨日完成した。
この一ヶ月というもの、パソコンに向かっては毎日のようにリライトし続けた文章・・・
にしては長いものだが、一年前に理屈をこねていたことへの落とし前でもある。
ウダウダ言ってねーでやってみろっ!と己を叱咤する声に追われながらも、
なんとか気持ちの整理はついた。これから三ヶ月、盲目に走りたいものです。


企画趣意書 

日本木青連 地球温暖化を考えるフォーラム2007

「木で学校をつくるということ」

空から地上を見下ろすと、緑で覆われた大地が目に映ります。
このとき国土の約7割が森林であったと気づきます。
とはいえ、水と緑に恵まれたこの国も、
地球温暖化という漠然とした不安に覆われつつあるのです。
私たち日本木材青壮年団体連合会は、
「誇り高き 木の時代 -めざそう木による循環型社会の形成と地球温暖化防止-」
を18年度のスローガンに、木材の利用が地球温暖化防止に貢献することを
広く伝える活動を行ってきました。そしてこの度、第52回全国会員福岡大会の中核として、
一般消費者に向けたフォーラムを開催するはこびとなりました。
 
京都議定書における我が国のCO2排出削減目標は6%。
そのうち、省エネによる削減は2.1%。
残り3.9%が森林の吸収により計画されています。
この3.9%の削減は、森林を放置していては実現できません。
木材を伐採し、植林し、そして育林するという資源の再生産をすることにより、
CO2は効率的に吸収され樹木として固定されていくのです。
今後枯渇していく地下資源は大切に使わなくてはなりません。
そのためにも、環境に負荷をかけず、再生そして循環が可能な「木材」という資源を
見つめ直して欲しいと思います。
豊かな森林を持つ我が国でも、放置される人工林が年々増えています。
この資源を次世代へ引き継ぐためには、「消費者」の力が必要だと考えます。
「木を伐り、使い、植える」という持続可能な社会の実現に向け、
木の良さや特性を知り、より積極的に利用する営みが鍵になると思うのです。
今回は「木で学校をつくるということ」というテーマを選定しました。
私たちは、教育や環境に対し漠然とした不安を抱えています。
子供たちにとって健やかなる学び舎とは、その背後にある環境との関係とは、
身近なところから考えてみたいと思います。

 

 『「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
                 ~中略~
     この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、

                  君たちへの期待でもある。』
 
これは「二十一世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎著)を読み、共感したビジョンです。
この短い文章の中に、環境や教育に対する著者の思いが込められています.。
 昨年はこの福岡県で、
いじめが原因とみられる学生の自殺という残念な事件が起こりました。
教え育む場である学校を、私たちは今、見つめ直さなくてはなりません。


 今回は、環境、木材、建築といった専門家の方だけでなく、
教育に携わる方、母として暮らす方、マスコミの方など、
各方面でご活躍されている方々にご参加いただきます。
そして、其々の視点からの率直なご意見をお聞かせいただきたいと思っています。


 「未来を担う子供たちへの希望とは、よい環境とは、そして今私たちができることとは。」


 木の学校を通して、一人でも多くの皆さんと共に考えたいと願っています。
そして、地球温暖化問題が身近なものとなることを期待しています。

日本木材青壮年団体連合会 第52回全国会員福岡大会実行委員会

フォーラム委員長 杉岡世邦

 
 
 

8.一年の計とイヤシロチ 

 
 
2007-01-12 の記事より 
 

元旦にアップしてあっという間に10日間が過ぎてしまった。
正月休みの間は、イヤシロチ宮崎の青島に行っていた。
突然「イヤシロチ」という言葉を出してしまったが、
数ヶ月前本屋で立ち読みして以来、気にかかっていた言葉だ。
その本は、船井幸雄の「イヤシロチ~万物が蘇生する場所がある」。
その本によると「イヤシロチ」は「万物を蘇生かさせる地」という意味の言葉らしい。
いつも正月前に本を数冊仕入れる私は、
その他に船井幸雄「イヤシロチII~心地よく棲む方法がある」、
エルヴィン・トーマ「木とつきあう知恵」、
白洲正子「木~なまえ・かたち・たくみ」を携え、宮崎入りしたのであった。

海岸に小さく浮かぶ青島は、蒲葵樹(びろうじゅ)というヤシ科の常緑高木に覆われている。
日本的な社と亜熱帯の森という不思議な空間だった。

気功を始めた私は、しばし島の中央に位置する元宮と呼ばれる場に居座り、
錬功の真似事をすることにした。やはり磁場と言えるのではないだろうか。
両掌がジンジンとしてきて、みるみるうちに真っ赤になった。
子供たちも、「パパ、手がジンジンするね!」とはしゃいでいたから、
パワースポットと言われるのも頷ける。

(一年の計の箇所省略)
 

青島で嬉しいことがもう一つ。
幸運にも島に渡ったそのとき、虹がかかっているのを発見。
なんとなく実り多き一年が始まるようで・・・(笑)

宮崎行きは青島と、もう一つの目的があった。
それは、民家園(神武天皇を祀る宮崎神宮の敷地横)に移築されている
宮崎の伝統的民家四棟を見ること。そのお話は、また次回に・・・

 
 
 
 

9.山の神様と東京ディズニーランド

 
 
2008-05-09 の記事より 
 

前回は、木の神様の話をご紹介しました。
続編といってはなんですが今回は・・・

熊本県の球磨地方でお伺いした山の神様のお話を少ししたいと思います。
由緒正しい木の神様とは趣が異なり、八百万神のような印象の神様です。

3年半ほど前の冬の日の夜、球磨川の源流にある水上村の民宿で、
球磨地方に住むIさん・Sさんと一緒に囲炉裏を囲んでいたときのことです。
顔が赤らんできたころでしょうか、Iさんから真顔で
「お前、山神様がおると信じる気あるか?」
と尋ねられました。
思わず勢いで「はい!」と答えたところ、Iさんはしばし無言で私の顔を覗きこみ、
ようやく「よし、よかろう。」と語り始めたのです。

東京で働いていたIさんがUターンして間もないころのことでした。
山仕事を始めたIさんが、木を搬出していた時のこと、キャタピラで山道を移動していると、
自分を載せたままキャタピラが道の端っこに吹っ飛ばされてしまいました。
翌日も怖々通ってみると、やはり同じところで飛ばされてしまいます。
段差もなければ障害物もない。機械を調べても問題はない。
理由がわからず怖くなったので、村の古老に相談しました。


すると意外な答えが・・・

「あ~、あの辺かぁ。あそこは山神様の通り道じゃからな。。。」

古老の話では、山神様は子供くらいの背丈をしていて老婆のような姿をしている。
女神様で嫉妬深い為、お供え物は注意が必要。
ヤマメやアユなど器量の良い魚ではなく、オコゼやハゼなどをお供えするように、
と諭されたそうなのです。

頷きながら… 今度はSさんが、異なる情報を話してくれました。
なんでも、山神様は相撲をとるのが好きらしく、山の神様が遊んだ場所は、
草一つ生えていない、まるで土俵のような円形の跡ができるのだそうです。
Sさんはこれまで何度も見たことがあると真剣に語ります。
そこで思わず私は、
「もしもまた見かけることがあったらご連絡くださいね。
必ずすぐにお伺いしますから。」
と言ってしまいました。お酒が入っていましたし、信じるとは言ったものの、
実はそれほど真剣ではなかったのですけれど…(笑)

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ところが程なくして、そう、三月ほど経ってからでしょうか、
Sさんからお電話がかかってきました。
過日はどうも~などと軽い挨拶を交わしていたら…そうなんです。なんと!
山神様の土俵を見つけたというではありませんか。(笑)

ちょうど数日後にはゴールデンウィーク、というタイミングでした。
何も予定を立てていなかったため、急遽、家族で遊びに行くことにしました。

そこは確かに不思議な光景でした。
山道から20mほど、道なき道を下りていくと、
新緑が繁った山中に、草一つ生えていないミステリー・サークルがあるのです。
意外に広く感じられました。直径3~4mはあったでしょうか。
どことなく、静粛な雰囲気が漂っていました。
草を刈り取ったのとは明らかに違います。
Sさんから聞いていた通り、草が生えていないのです。
さらに、枯れ葉のような物もありませんでした。
人が入り込んだ跡はありません。
土がぬかるんでいるので、人為的なものであれば足跡が残ってしまいます。
サークルのところどころには水たまりがあって、
オタマジャクシがジタバタと跳ねていました。

「これは不思議だ、、、」 
すっかり私は興奮してしまって、周辺を何度もグルグルと観察していました。
ようやく平静に戻り、カメラに収めようとしたのですがトラブルが発生しました。
シャッターが下りてくれないのです。
(当時は、アナログの一眼レフを使ってました。)
しばらく粘ってみたのですが上手くいきません。
ついに、Sさんが撮った写真をいただくことにしてあきらめました。

そうなんです。ここまで引っ張っておきながら、写真が無いのです!
Sさんに写真いただくの、あれっきり忘れていました。
早速連絡することにします!(笑)

話は変わりますが・・・

(トムソーヤ島のツリーハウス)

そんなホリー(holy)スポットを訪ねたゴールデンウィークの3年後の今年は・・・ 

なんと!25周年の東京ディズニーランド。

どこに行っても、人・・・ヒト・・・ひと・・・

行く前までは「人混み嫌だなぁ・・・」と思ってたのですが、、、意外や意外。

これはこれで楽しい休日でした(笑)

 
 

10.木造校舎から考えるエコロジー

 
 
2006-05-17 の記事より 
 
 

今週末の5月20日、「木造校舎から考えるエコロジー」というテーマで講演会を企画しました。

私が所属している、福岡県木材青壮年連合会の総会後に催します。
以下その企画趣意書から抜粋します。

 
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「森林(もり)で樹を護っている人はいますか?」
(平成17年7月1日発行ウッディレター249号)
木のなんでも相談室の岡野健教授に真剣な顔つきで聞いてきた小学年生がいたらしい。
「樹を護るとは、樹が伐られないように見張っている
 という意味であることは口振りから分かった。」
樹を伐るから森林が破壊される、と信じる人は今も残念ながら多いようだ。

それは、樹が伐られ不毛となった大地がもたらす災害のショッキングな姿を
誰でも一度は画像や映像で見たことがあるからなのではないだろうか。

 

樹を伐ることでしか環境は護れない」という逆説的な説明を、熱い思いで、
一方的に話し、その小学生はなんとか理解してくれた、と岡野教授は末尾を閉めている。
しかしながらそれは、それほどまでに一般の人や子供達に真実を伝えることは難しい、
ということを私達に訴えかけているのではないだろうか。

 

「木材利用は環境を護るためのもので破壊するものではない。」
と伝えることは我々も実感している難問だが、木造校舎から考えてみてはどうだろうか?
というのも、昨年、某小学校の改築の話しが持ち上がった時、
市民による安藤邦廣先生の講演会が催された。
その後、可能であれば伝統木構法でできないかとの市民運動が立ち上がり、
公開ワークショップが開かれるようになった。
残念ながら伝統木構造にはならず、RC造になり、内装にのみ木材を使用する
というような流れになったという。
しかしながら特筆すべきなのは、その市民運動に参加した人々は
環境と木材利用の関係について共通の認識をすぐに持てたことにあるのだった。

 

私達はどのような学校校舎で子供達に学んで欲しいのだろうか?

 

一般の人と同じ目線で、一人の親として大人として、まずは我々も考えてみたい。
そこで、5月20日、筑波大学芸術学系教授 安藤邦廣先生と共に木造校舎について
考える機会を設けることにした。
民家の研究や板倉木工法の開発など研究から実践まで幅広くご活躍され、
ご存知の方も多いはずだ。
私達はどのような学校を望んでいるのか、そして今後どのように動いていけばよいのか、
きっと見えてくることになるだろう!

 

講演会のオプションとして建物見学会を企画してみては・・・
と安藤先生よりご提案いただいたため、翌21日、廣宣寺(こうせんじ)庫裏と
雲仙観光ホテルの見学会を併せ催すことにした。
廣宣寺は島原半島にある南有馬町に位置し、
安藤先生が設計管理された伝統的な木組と板倉の建物。5月頃竣工予定。
在来構法と伝統構法の違いを理解するには分かり易い建物だと思われる。

 
 

雲仙観光ホテルは昭和10年、竹中工務店によって建てられた木造ホテルで、
木を使った錆びることのないモダンなデザインと経年変化が美しい。
遠出にはなるが、大きなヒントがあるのではないだろうか。
皆さんにぜひとも参加していただきたい。

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校舎について改めて考えてみると、とても新鮮です。。。

 
 
 
 

11.「虔十公園林」(宮沢賢治)と「杉」

 
 
2009-04-15 の記事より 
 
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「杉の文化研究所」というカテゴリーをつくって二月近くなりました。
一月以上前になりますが、このブログにいつもあたたかいコメントを
寄せてくださる「たにむら」さんより、このようなメールをいただきました。
 
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ご存知かもしれませんが、
宮沢賢治の童話にも杉苗を植える話があります。(虔十公園林)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4410_26676.html

この話を知ったのは、ますむら・ひろし氏のイーハトーブ乱入記です。

ますむら氏は、この話について
「宮沢賢治は、現実の学校教育と<激突>していたのだ」
と、書いています。
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私はそのとき初めて、虔十公園林(けんじうこうえんりん)を読みました。
短い童話なのでぜひ読んで頂きたいのですが、内容を要約しますと・・・
   
「虔十」は今で言えば知的障害のある人で、
周囲の人から馬鹿にされたりからかわれたりしていました。
ところがある時、なにを思ってか野原に杉の苗を植えます。
すると後年、そこはすばらしい杉林となって、
町のみんなの心のよりどころとなったのでした、
 
というようなお話です。
宮沢賢治は、本当の「知性」そして「賢さ」とは何か、という主題を
生涯にわたって何度も作品の中で追求したように思われます。
それは、「雨ニモマケズ」の「デクノボー」であったり、
自分の理想郷をトルストイの「イワンの馬鹿」を捩ってイヴァン王国と名付けたり、
童話「風野又三郎」では「最も愚鈍なるもの最も賢きものなり」と表現したり、
といった例をあげることができます。
そして、本当の知性とはいったい何か、という答えを
常識的な「賢さ」の対極の中に見出そうとしたように思えるのです。
  
この「虔十公園林」という童話も、同じテーマを扱った作品であると言えます。
杉を植えた虔十は皆から馬鹿にされるも、そこにこそ知性があったのだと描かれています。
 
「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。

  たゞどこまでも十力の作用は不思議です。」
 
ここでいう「十力」とは、「仏に特有とされる十種の智力」のことでしょう。
人間には愚かと見えることも、仏の超越的な知性から見れば、
そのほんとうの意義が洞察されるということです。
 
宮沢賢治は、時に自分の署名を「Kenjü」と綴っていたらしいのですが、
「別名」を表記するに際して、「ケン」という音に、
「虔=つつしむ」または「謙=へりくだる」という字を当てていたようです。
つまり、主人公の名「虔十」(Kenjü)は、自分=「賢治」(ケンジュウ)の分身であり、
「虔=つつしむ」と「十力=十種の智力」を合わせたものだと考えられます。
そして、真の知性とは「虔=つつしむ」という生き方の中にこそ宿るのだ、
ということを名前の二文字に込めたのであろうと思うのです。
 
この童話の味わい深さに感動させられると共に、
真の「知性」「かしこさ」を象徴する題材として「杉の植林」が取り上げられたことを、
私は大変嬉しく、また心強く思いました。
「杉の真価を探る」ため、さらに学んでゆきたいと思います。
 
たにむらさん、ご紹介していただきありがとうごいざました。

(なお、今回の記事は、HP宮澤賢治の詩の世界を参考にさせていただきました。) 
 
 
 
 

12.東大寺で木材のことを思う

 
2008-11-13 の記事より
 
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この大きな木はなんでしょう?

 

これは、元禄年間に再々建された東大寺大仏殿(金堂)に使用されていた柱です。

周囲が3.65mとありますから計算上は直径約1.2mあるのでしょうか。

樹種は杉です。

杉を見ると、なぜだか血が騒ぎます。ザワワ・・・^^

 


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東大寺金堂は創建時(753年)、横幅86.1m(現在は57m)もあったと言われています。

でも、竣工後まもなく軒は下がり、乱れ、建物は歪み、支柱が必要な始末となったようです。

1180年、平重衡の南部焼き討ちにより、奈良時代創建時の東大寺は伽藍の大半を失いました。

鎌倉時代、復興の責任者に任ぜられたのが重源上人でした。

復興するには、膨大な経費と共に巨大建築の構造をどうするかという問題がありました。

再建にあたり従来の構造は採用できず、柱や梁などの長特大材の調達は困難だったのです。

金堂は、直径1.5mもの柱が数十本も必要です。


 


重源が復興させた鎌倉時代は日本の歴史の中でも屈指の建築ラッシュの時代です。

奈良時代に建てられた建物が築後約400年を過ぎ、老朽化が進んでいて、

根本的な大修理、または建て替えの時期を迎えていました。

このころ、近畿一円の山から直径1.5mの柱がとれる檜の大材はなくなっていました。

重源は周防国(すおうのくに・現山口県)で巨大な檜を調達します。

構造では、中国の建築技術を取り入れました。

この様式は、金堂(大仏殿)に使われたことから大仏様といわれます。

金堂以外にも南大門や法華堂礼堂などにも採用されています。

しかし、大仏様は豪壮すぎたのか日本には馴染まず、重源が亡くなると急速に衰退します。


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(東大寺南大門の柱と貫↑)

 
ところが、その技術の中で、今日まで使われている技法があります。

それが貫(ぬき)の使用です。

貫とは、柱に穴をあけ、貫き通している部材です。

貫工法の出現により、太い柱や長押(なげし)などは必須の構造材ではなくなりました。

「日本の気候風土に合っている」と表現される、古い木造の建物の多くは貫構造が応用されたいます。

たとえば西日本で見られる古民家の土壁の中には貫があるのです。

ちなみにこの工法は、

同じ木を使った構法でも、現代の在来工法とはまったく異なった力学だそうです。

それを私は、便宜上、「伝統構法」と呼ぶことにしています。


 

建築ラッシュの奈良時代。その400年後に修復された鎌倉時代。

さらに400年後が西暦1600年前後、桃山から江戸時代初期です。

この時期に、現大仏殿(金堂)が再々建されています。

 

それから400年後が2000年ですから、現代となります。

昭和にされた東大寺の大修復は、そんな歴史的なサイクルの中にあるようです。
 
 
 

13.子供たちの製材所見学

 
2009-05-29 の記事より
 
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昨日、地元の小学2年生が工場見学に来てくれました。
写真は何をしているところだと思いますか?(答えは下に)
 
 
毎年この時期になると、2年生や3年生が見学に来てくれます。
おかげさまでこちらも大分慣れてきました。質問は大体こんな感じ・・・^^
 
1. どんな品物をつくっているのですか?

2. いつから製材所をやっているのですか?

3. 木はどこからやってくるのですか?

4. 木はどこに行くのですか?

5. どうして久喜宮(くぐみや)には、製材所が多いのですか?

6. ここにはどれくらいの木がありますか?
 
小さいと侮ってはいけません。みな本質を突く良い質問をしてきますよ~^^
  
「山に生えている木はどんな形をしてますか~?」
「まる~!!」
「そうだね。じゃこの家に使っている木はどんな形してる?」
「しかく~!!」
「そうだね。どこで丸が四角になってると思う?」
 
だいたいこれで1番はOK。
次2番。
 
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「はい。このお山の写真を見てくださ~い。
これはおじさんとこのお山だよ。ここには55歳の木が生えています。
今から55年前にこの山の木を伐って、この家を建てたんだよ。
そのとき植えたのがもうこんなに大きくなっています。
おじさんのおじいちゃんが、このお家を建てたときに
ここで製材所を始めたんだよ。」
 
そして3番。
「木はどこからやってくるのか、もう知ってるでしょ~?」
「は~い!おやま~。」
「そうだね。じゃぁ、どうやってやってくると思う?」
「トラック~?」
「そう、そのとおり!でも昔はそうじゃなかったんだよ。
木は水に浮くと思う人手を上げて?じゃぁ沈むと思う人?
どっちが正しいかなぁ。はい、これを見て~!」
  
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↑写真・・・「筑後川を道として 日田の木流し、筏流し」(竹島真理著/不知火書房)より

(この本のレビューをアマゾンに投稿しています。)


 
「おお~木が浮かんでるっ!!」
「そう。^^これはみんな知ってる筑後川の昔の写真だよ~」
 
「さきに5番の質問に答えるね。
 昔はこうして木を、川に流して運んでいたので、
 山に木がたくさん植わっている筑後川が流れるところには
 自然と木がたくさん集まってきました。それで、
 その木を使っていろんな物を作る仕事をしている人たちが多いんだよ。」
「へぇ~」
「これは何?」「つくえ~」「何で出来てる?」「き~」「そうだね。」
「じゃこれは?」「ほんだな~」「何で出来てる?」「き~」
「じゃこれは?」「まど~」「何で出来てる?」「き~」
「じゃ、、、、」
 
と手当たり次第に木ばかりの私の事務所を指さします。^^

そして4番。
これは、特集していただいている雑誌を中心に見てもらいます。
(それでも、ぜんぶで70ページほどあるので・・・^^)
 
最後6番。
「それじゃみんなで、これから工場を見に行こう!」
 
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「はい、全部見てもらったけれど、何軒分くらいの木があると思う?」
「10軒くらいの人?じゃあ20軒の人?まだまだ30軒っていう人?
 そんなことはない50軒はあるぞ、という人?いやいや100軒はる、という人」
 
「はい、だいたい今見てくれたもので50軒くらいの木がありま~す。」
「うわ~」
 
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ってな感じで説明していくのです。
これが3年生になると、木と鉄を触らせて、木の特質を鉄と比較しながら
肌で感じてもらうことにしています。
詳細は、3年生が来てくれた時にでもアップすることにしますね。
 
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さてさて、最初の質問の答えですが、正解は「年輪を数えている。」でした。
 
数える前、その木がおおよそ何歳であるか、手を上げてもらった後に始めます。
「い~ち、に~、さ~ん、、、、^^」
子どもたちの事前予想では、
60歳が20%、70歳10%、80歳10%、100歳60%でしたが、
皆で最後まで数えると、124歳であることが判明しました。
 
 
 
 

14.「木」に抱く畏敬の念

 
2009-01-10 の記事より

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この木は杉の木。長さは8mあります。樹齢は150年ほど。

こんなに長くて太い曲った木をどこに使うのかと疑問を抱く方も多いことでしょう。

今回は、お寺の本堂の隅木(屋根材の一部)というところに使います。

木の上にまたがった少年は、この木の行き先となるお寺のご子息です。

一昨日、ご住職、建築家の先生とご一緒に製材の立ち会いにおこしいただきました。

この仕事に携わりながら、常々感じていることですが・・・

「木」の時に抱く感じ方と、「木材」になったときの感じ方はなぜこうも違うのでしょうか。

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この幅広い板は、破風板(はふいた)といって屋根の妻側に使われます。

見えにくいかもしれませんが、黒い線で書かれたところが最終的な形です。

両端の白い部分を避け、中央の赤いところだけで取れるようにしています。

これは、雨が掛ったり日に当たっても傷みにくくするための工夫です。

しかも、お寺の屋根はとても反っていますので、曲がりを考慮すると

実際に使用されている幅からは想像もつかない広さの板が必要なのです。

たとえばこの板は6m50㎝。

木の元に近い広いところで80センチ、反対側の狭いところでも60センチあります。

破風板の実寸は正味5m。一番広い部分で42センチ。狭いところは24センチです。

さらに屋根の上の方に使われのですから小さく見えます。

結局、建てられてしまってからでは、これほどの迫力を感じることはまずないでしょう。

したがって有難みも薄くなるのではないかと思うのです。

山に立っているとき、手を合わせたり抱きつきたくなるような木を使うということを、

せっかくならば、そのまま受け止め、感謝したいと思うのです。

 

この日の夜に、ご住職からいただいたメールの中にこんな一文がありました。

 

『帰宅しまして、息子と風呂に入りながら、
「今日の製材所はどうやった?」と聞きますと、

「すごかった。大きかった。あんな大きい木が新しい本堂に来るっちゃね。」

とうれしげに返答。連れて行ってよかったと心から思いました。』


 
本当にありがたいことです。合掌

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