アーカイブ 2009年4月

2009年 4月 23日

杉赤身勾玉と神田明神

カテゴリー 杉の文化研究所

cimg5421.JPG
  
4月20日(月)、以前からお会いしたかったkemiさんとの初対面の後、
神田明神をご案内して頂きました。そこには、ご縁のある仲間9名が集いました。
(詳しくはたにむらさんのブログを。^^)
お集まりになる皆さんに、何か自分でつくったものを差し上げたいな・・・
と思いできあがったのが8つの杉の赤身の勾玉でした。

というわけで先週は、隙間時間を見つけては木を削っていたのです。^^
  
cimg5406.JPG
 
名付けて!「スキアカミノマカタマ」(杉赤身勾玉)
 
(以下、プレゼントに添えた説明書きより抜粋)

******************************************************** 
 勾玉は縄文中期より見られる日本独自のディテイルで、
『三種の神器』《八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)》の一つに数えられています。
 
 儒学では、鏡「知」・勾玉「仁」・剣「勇」の三つで三徳といわれます。
「日(陽)」を表す八咫鏡に対し「月(陰)」を表すという説もありますが、出雲風土記によると、
太陽と月が重なりあった形を表し両方の恩恵を受けるとされます。
 
 八尺瓊勾玉は、三種の神器の中で唯一皇居御所にあるといわれます。
八尺は大きさ(尺は咫との説あり)、「瓊(に)」は赤色の玉のことです。
 勾玉は、もともと古代語で「マカタマ」と呼ばれていて、
「マ」は人の上に立ち名を知られる象、また争いを避けるという意、
「カ」は陽気で盛んな象、運氣強く神の助けありなどの意があるのです。
 ちなみに古代サンスクリットで「マカ」は、優れていること、大きいこと、
偉大なこと、勝利などの意があります。
  
 今回は杉の赤身材で勾玉をつくってみました。
吉野ヶ里公園で体験した子どもたちとの勾玉つくり後、
木でつくれないのかと尋ねられたのがきっかけとなりました。
手に取っていただけば、その軽さに驚かれると思います。
つぎに温かさ、柔らかさ、掌の汗を吸い取る清々しさなどをお感じになるでしょう。
ぜひ味わっていただきたいのは、その香りです。
香りが少なくなった場合は、同封のペーパーで少しお削り下さいませ。
  
 江戸時代、オランダ人医師シーボルトは、勾玉の研究をしています。
著書「日本」に<教養ある日本人が好んで思いをはせるもの>と書き出しで記されています。
あなたのお気に召すことを心より祈っております。
 
********************************************************
何気に思いついた勾玉作りですが、調べるほどにその奥深さに引き込まれていきます。
勾玉は、漢字で表わすと「」(ともえ)です。
私の住所は、朝倉市杷木。合併前は朝倉郡杷木町でした。
「杷」という字は、「木」偏につくりが「巴」、つまり木でつくった勾玉と解釈しても良いわけで・・・(笑)
  
すみません、話は冒頭に戻ります。
kemiさんにご案内いただいた神田明神は、本当にこの「巴」だらけでした。
 
cimg5420.JPG
建物のいたるところに・・・
 
cimg5419.JPG
お賽銭箱にも・・・
 
cimg5423.JPG
鳥居前のお菓子屋さんはそのものズバリ・・・(笑)
 
巴が二つだと道教(タオイズム)の太極図となります。 
こちらで見られる巴は基本的に「左三つ巴(みつどもえ)紋」です。
「左三つ巴紋」といえば、高野山真言宗紋を思い出します。
http://www.koyasan.or.jp/
空海は讃岐の豪族佐伯直田の三男で、「巴紋」は佐伯家の家紋でもあります。
天皇から弘法大師の称号を下賜されたときに天皇家の家紋「五三の桐紋」を許され、
「五三の桐紋」と「左三つ巴紋」の二つで高野山真言宗紋となるのです。
  
この日のちょうど1年前の4月20日、私は高野山奥の院に行っていました。
またこの前日、高野山と縁の深い方とお会いして、不可思議な体験をしたばかり。
いろいろなことがシンクロしています。なんだか楽しい毎日です。^^

一昨日私は、松岡正剛氏が主宰される「ISIS編集学校」に入門しました。
そのことを次回はアップしたいと思います。
 
kemiさん、すっかりお世話になりました。
アスター銀座のランチがとても美味く楽しい時間でした。
ご縁に感謝します。ありがとうございました。拝

コメント(10)