アーカイブ 「「山の文化」のルーツを探る」

2018年 7月 24日

明日、手放したくない木を納品します

 
明日、手放したくない木を納品します(笑)
写真は150年ほどの杉の木で、元の直径が1350㎜くらいありました。
それを半割して芯の部分を除いた盤木です。
お寺の本堂の向拝(ごはい)という場所の海老虹梁(えびこうりょう)という部材に用います。
裏にも節はあまりありません。
この木は、祖母と尊敬する伯父の遺骨が眠るお寺に嫁ぎます。
嫁ぎ先として最高の場所だと思っています。いつでも会いに行けますし。
先人の育てられた労苦のうえにおいて今の私の仕事は成り立っている、とつくづく思います。有難いです。
 

尚、もっと目詰まりの銘木は吉野などに行けば多々あると思います。
その点で言うと、吉野などの木を見慣れている人には目粗だと感じられるかもしれません。
私にとって、この杉が好きなところは最初の30年くらいで直径一寸五分(45ミリ)しか幹がないのに、
そこから急に年輪幅が大きくなって、切られるまで年輪幅がほとんど変わらない。
150年生きていても旺盛な生長を見せる、木の生命力のようなもの、勢いを感じさせるところです。
自分もこうありたいな、と思うのです。
材質においても、九州の杉という感じです。
春目(早材)の繊維がつまっていて、秋目(晩材)との比重の差が少なく、均質な材質で、反りや狂いがありません。
色もご覧の通りよくて心材の初期含水率が低いのです。
九州杉の在来品種メアサ系の杉で、私はもっとも好んで使っています。
立ち姿の写真のないところが残念です。
このような木は、そんな履歴が必要だと感じます。森の物語を語らねばなりません。

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2018年 7月 08日

九州北部豪雨から一年

九州北部豪雨からあっという間の一年でした。
でもあの日のことは遠い昔のことのように感じます。
この一年はつらいことも多くて、心情的に大きく変わったような気がします。
あれからちょうど一年である7月5日は、私にとって節目の日となりました。
この日は、昨年7月26日にレスキューした流木の大樟が、
九州大学芸術工学研究院の知足美加子さんの手により彫刻作品「朝倉龍」となって、
新設杷木小学校に寄贈されたのです。
この龍のやさしい眼差しに一目ぼれして以来、携帯の待ち受けにしています。

全景はこちら ↓ をご覧ください。
http://elfinfukuoka.blog.jp/archives/76794729.html
1年ということがあり、下記のような記事の掲載をしていただきました。

●7月4日付 毎日新聞(夕刊)


●7月7日付 西日本新聞(朝刊・ふくおか都市圏版)


尚、龍の九似によると、龍の眼は兎の眼なのだそうです。
『兎の眼』といえば、灰谷健次郎著の同名の小説があります。
小説の主人公、22歳の新任女性教師である小谷先生は、感受性が高く泣き虫です。
子どもを思い、目をしょっちゅう真っ赤にはらします。
真っ赤に泣きはらした兎の眼をした朝倉龍の眼差しは、小谷先生のような、悲母のようなやさしさを感じます。
その小谷先生が、奈良の西大寺に善財童子を見に行った時の描写が下記文章です。

「あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。
 ひとの眼というより、兎の眼だった、
 それはいのりをこめたような、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。」
(20180427)

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2018年 4月 05日

「関ヶ原」以来、四百年の時空がおり成した御神木


3月26日、九州木材市場(日田市)の春季優良材市にて、
推定樹齢四百年の杉が出材されました。
大分県臼杵市野津町、熊野神社の御神木で、平成29年の台風18号の被害に遭ったものです。
「臼杵時間」というHPに立っていた時の写真があります。
http://www.usuki-jikan.com/info/453/
 
この樹の往時の写真を見ていると、木として売り買いされる現実が、なんだか信じられません。
四百年前というと関ヶ原の戦い、家康公ご存命の時代です。

 

一本の木が5本に玉切りされ、元玉の元口(最も地面に近いところ)の長い方の直径は2mを超えていました。



割れはあるものの、杢が出ており、目合い、色合いのすばらしい材質。
おそらくメアサスギだと思います。
 


私は、一番上の五番玉のところのみご縁をいただきました。
残りのものは全て秋田に行き、突板になるのではないでしょうか。
9年ほど前になりますが、西日本新聞に寄稿した記事において、
樹齢400年の杉が切られどう使われるのか、それを知ったときの複雑な思いを書きました。
今回、同じ樹齢400年の杉の木を目前にしながら、当時の思いがよみがえりました。
よろしければ ↓ ご一読ください。
『木挽棟梁のモノサシ6「材齢~樹齢以上に長持ち」』(西日本新聞・朝刊 2009年12月27日)

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2016年 12月 29日

平成28年、私は何を考えたか。


(朝倉郡東峰村小石原 行者杉)
5年前から一年間の入手書籍をアップしています。
その時々で何を考えていたか、よい記録となります。
今年は108冊と昨年の半分以下。
以前読んだものを読み返す、ということが多かったように思います。
一方、新しく買ったものは積ん読本になっているものが多々あります。
 
今年一番影響を受けた本は『小石原村誌』です。
自分のルーツと思っている「行者杉」の巨木群がなぜ旧小石原村に存在するのか。
それを探っていると、英彦山という霊峰、そして習合という精神文化に辿りつきました。
1月には梅原猛先生の書庫と書斎を訪ねることができたのも強く印象に残ります。
来年はどんな本と出会うのか。楽しみです。
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平成28年 購入(入手)書籍一覧
1月(15)
『愛の空間 (響きわたるシベリア杉 シリーズ3)』ウラジーミル・メグレ
『自律神経を整えて病気を治す! 口の体操「あいうべ」』今井一彰
『NOTES―横内敏人の住宅設計ノート』横内敏人,
『和食とは何か 』熊倉功夫, 江原絢子,和食文化国民会議
『建築をめざして』ル・コルビュジェ,吉阪 隆正
『小さな家―1923』ル・コルビュジェ,森田 一敏
『ル・コルビュジエを見る―20世紀最高の建築家、創造の軌跡』越後島研一,
『科学するブッダ 犀の角たち』佐々木 閑
『はじめての植物学―植物たちの生き残り戦略,』大場秀章
『森を読む』大場秀章
『がんと闘った科学者の記録』戸塚洋二,立花隆
『日本のこころの教育』境野 勝悟
『エコハウスのウソ 増補改訂版』前 真之
『鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと』鈴木真哉,
『WA-HOUSE―横内敏人の住宅設計』横内敏人,

2月(7)
『図説 歴史で読み解く京都の地理』正井泰夫
『人のつくった森―明治神宮の森「永遠の杜」造成の記録』
上原敬二,東京農業大学地域環境科学部
『京都時代MAP 幕末・維新編 (Time trip map)』
『地球はもう温暖化していない: 科学と政治の大転換へ』深井有
『子供の「脳」は肌にある』山口 創
『日本の10大庭園』重森千靑
『京の庭』重森千靑

3月(17)
『自分の壁』 養老孟司
『新 13歳のハローワーク』村上龍,はまのゆか
『日本林業を立て直す―速水林業の挑戦』速水 亨
『日本の民家―その美しさと構造 (1962年)』大河 直躬
『九州のかたち 民家 草葺きの家を中心に』
『植物と人間―生物社会のバランス』宮脇 昭
『森林医学』森本兼曩,平野秀樹,宮崎良文
『森林医学〈2〉環境と人間の健康科学』大井玄,平野秀樹,宮崎良文
『人間と気候―生理人類学からのアプローチ,』佐藤方彦
『おはなし生活科学』佐藤方彦
『日本人の事典』佐藤方彦、ほか
『植物学のたのしみ,』大場秀章
『生きる力がわいてくる生活習慣塾』田中真澄
『リーダーの易経「兆し」を察知する力をきたえる』竹村 亞希子
『逝きし世の面影』渡辺京二
『気の人間学』矢山利彦
『超訳 空海の人間学』矢山利彦

4月(1)
『超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント』竹村 亞希子

5月(11)
『青春論』亀井 勝一郎
『ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール』
ジョン グレイ
『「教えないから人が育つ」横田英毅のリーダー学』天外 伺朗
『メタセコイア―昭和天皇の愛した木』斎藤 清明
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田 温
『絆の環境設計 ―21世紀のヒューマニズムをもとめて』土居義岳ほか
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼 博
『君に成功を贈る』中村天風
『Autobiography of a Yogi (Japanese) 』Yogananda, Paramahansa
『日本精神の研究』安岡正篤
『愚者の智恵 森の心の語り部たち』今田求仁生

6月(9)
『新版 木の葉のテレパシー―植物の遠隔写真感応現象』三上 晃
『植物の超能力 リーフ・バイオ・センサーの実験と応用』三上 晃
『一色一生』志村 ふくみ, 高橋 巌
『人生が楽になる 超シンプルなさとり方』エックハルト・トール,飯田 史彦
『人生に生かす易経』竹村亞希子
『色彩の本質 (シュタイナー著作集 別巻 6)』ルドルフ・シュタイナー,高橋 巖
『ちいさいおうち』ばーじにあ・りー・ばーとん,いしい ももこ
『ヨーガに生きる 中村天風とカリアッパ師の歩み』おおい みつる
『惜櫟荘だより』佐伯 泰英

7月(6)
『人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」』田坂 広志
『日本文化の形成 (講談社学術文庫)』宮本 常一
『あとからくる君たちへ伝えたいこと』鍵山 秀三郎
『君たちはどう生きるか (岩波文庫)』吉野 源三郎
『小石原村誌』
『小石原村誌 補遺』

8月(10)
『住空間史論2 農村住居篇』島村昇
『住空間史論 3 都市住居篇』島村昇
『建築の七つの力』鈴木 博之
『拡張する住宅―沖縄にみる自律的居住環境デザイン』田上 健一
『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』八幡和郎
『星野リゾートの教科書』中沢 康彦
『新島襄の手紙 (岩波文庫)』新島 襄
『山岳信仰 – 日本文化の根底を探る (中公新書)』鈴木 正崇
『修験道史研究 (1972年) (東洋文庫〈211〉)』和歌森 太郎
『皇居の植物』生物学御研究所

9月(11)
『天皇陛下の生物学ご研究 -国立科学博物館開館110周年記念特別展-』
『メタセコイア―昭和天皇の愛した木 (中公新書)』斎藤 清明
『昭和天皇御製集』
『昭和天皇の和歌』田所 泉
『日本の地名 (岩波新書)』谷川 健一
『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか』崎谷 満
『古事記完全講義 入門編』竹田恒泰
『僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)』中沢 新一
『八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)』逵 日出典
『歓喜する円空』梅原 猛
『山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる,』重松 敏美,藤田晴一

10月(8)
『カルロ・スカルパ 
『和の建築図案集 (design book)』建築資料研究社出版部
『ル・コルビュジエ/創作を支えた九つの原型』越後島 研一
『Casa BRUTUS特別編集 建築家ル・コルビュジエの教科書』マガジンハウスムック
『ル・コルビュジエ建築の詩―12の住宅の空間構成』
『海流のなかの島々 (上巻)』ヘミングウェイ,沼沢洽治,
『海流のなかの島々 (下巻)』ヘミングウェイ,沼沢洽治,
『子供をゆがませる「間取り」』横山彰人

11月(5)
『検証 日本人の「住まい」はどこから来たか―韓国・中国・東南アジアの建築見聞録』
吉田 桂二
『放送大学教材/改訂版.生活文化史=日本人の生活と住まい.中国.韓国と比較して』
『日本のすまいの源流―日本基層文化の探究 (1984年)』杉本 尚次
『よい製品とは何か』ジェイムズ・L・アダムズ,石原 薫
『住宅建築 2011年 10月号』

12月(8)
『ゴッホの椅子』久津輪雅
『日本文化の形成〈上〉 (ちくま学芸文庫)』宮本常一
『日本文化の形成〈中〉 (ちくま学芸文庫)』宮本常一
『日本文化の形成〈下〉 (ちくま学芸文庫)』宮本常一
『お言葉ですが…〈7〉漢字語源の筋ちがい』高島 俊男
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』高島 俊男
『いま伝えたい生きることの真実』竹田 和平
『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松 易

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2016年 9月 26日

『住む。』59号(2016秋)


いま書店に並んでいる『住む。』59号。
連載企画である「家をつくるなら、近くの山の木で 57」(108~119頁)
の取材をお受けしたのは7月の終わり、夏真っ盛りの頃でした。
取材で訪ねた建築工房悠山想(ゆうざんそう)設計施工による甘木の家は、
手刻みの木組み、土壁+しっくい、木製建具の開放的な空間。
写真家Yさんの緊張感みなぎるお仕事ぶりを横目に、
取材のほうは まったりとした雰囲気で経過していきました。
  

なぜ、私は杉にひかれるのか。
“Big Why” を探りに旧小石原村の行者杉の森を訪ねました。
最近は、幼少の頃に思ったこと、感じたことが、
そのときの場面とともに突然フラッシュバックする瞬間があります。
取材の翌月には、行者杉を手植えした行者たちが修行に入った
霊峰「英彦山(ひこさん)」を二度訪問しました。
今回の取材をきっかけに、長年抱いてきた疑問がほぐれてきました。
おかげで今、充実した日々を送っています。
  

『住む。』59号、まずは書店で、ご高覧いただけましたら幸いです。
http://sumu.sakura.ne.jp/numbers/59.shtml
 
ちなみに「住まいのモノサシ」には、「甘木の家」の写真を使った記事が2つあります。
「19 子ども部屋」「20 縁側」です。 

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2016年 9月 01日

英彦山訪問。スギ文化のルーツを考える。


28日、30日と英彦山を訪ねた。
樹齢1300年といわれる鬼杉と初の対面。
なぜ、日本の山々は杉に覆われるようになったのか。
長年追いかけてきた疑問の答えに迫る手がかりをつかめたと思う。
一道無為心。迷わず進もう。

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2016年 3月 08日

高良山杉を製材

今日は、高良山杉(こうらさんすぎ)を製材しました。
推定樹齢281年。伐採が12年前らしいので、享保8年くらいまで遡れます。
芯の年輪が密であり、実生で芽生えたものだと思われます。
高良山杉は、高良山三井寺の第五十一代座主、寂源(じゃくげん)僧正が、
英彦山より杉苗を取り寄せ植えたのが始まり。
おそらく寛文年間あたりの事業ではないでしょうか。
今日、挽いた木は、それより樹齢が4~50年若いので、
残念ながら「寂源杉」ではありませんでしたが、
それでも素晴らしい木で、感動しながら製材を終えました。



 
なお、熊本県の小国杉の代表的品種「ヤクノシマ」は、
この高良山杉がルーツと考察されています。
以下、『九州のスギとヒノキ』宮島寛より
@@@
石橋(1957)によれば、熊本県阿蘇郡小国地方では藩政時代末期(1860年代)に
屋久島、吉野(奈良県)、高良山(福岡県)の3地方からスギ(苗?)を移植した
という記録があるが、「この地方は、高冷地であることから吉野や屋久島などの
暖地系スギは幼苗が困難で、雪害、病菌害などのために繁殖が意の如くならず、
終に中絶したものと思われる」としている。一方、高良山地方のスギ
(コウラスギ≒アヤスギ)は、さし木の発根性がすぐれているため、
この系統(アヤスギ)が小国地方で急速に殖えていったものであろうといわれている。
またこの地方でアヤスギのことをヤクノシマと呼んでいるのは、
久留米(福岡県)の高良山地方から移入されたアヤスギ(コウラスギ)が
屋久島のスギ(ヤクスギ=ヤクノシマ)と誤り伝えられたものではないかと考えられる。
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2015年 10月 16日

住まいのモノサシ37 縄文時代~主食のクリ 建築材に

わが国の木の建築の源流は竪穴住居です。
もう随分前になりますが、建築系の学校を出ていない私は、
そこに用いられた木がクリをはじめとするコナラ系の木々である、
と知ったときには驚きました。
今回、写真で使った竪穴住居は、
岩手県北上市の「みちのく民俗村」にあります。
何もないところに建物だけ復元してあるのとは違い、
クリやマツの林の中の、少し小高いところに再現されていて、
当時の住まいの雰囲気がよく伝わってきました。

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2015年 2月 25日

近代林業の発祥の地 川上村を訪ねる


昨年の3月、吉野林業の本拠地、川上村を訪ねたときの動画です。
近代林業の祖、土倉庄三郎翁と、時空を超えてお会いしたような感覚を覚えました。
川上村は、日本の近代化に大きな役割を担った時期があります。
ぜひ皆さんにも知ってほしい地です。
http://yoshinoringyo.jp/
のエピソード2動画(14分32秒)をご覧ください。

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2010年 6月 29日

世界遺産に見出した杉の役割


 
束石の上に杉の柱が並び、外壁のそのほとんどを杉皮が覆う。
庇(ひさし)屋根には、杉を薄く裂いたコケラ板がモザイク状に葺かれ、
三角の妻壁には、杉板が張られている。
先週末に出合った、この杉だらけの民家、さて、どこだと思いますか?
 

 
答えは、白川郷(岐阜県大野郡白川村)と共に合掌造り民家群として
世界遺産に登録されている五箇山(富山県南砺市)の「菅沼集落」。 
 
それにしても、この杉だらけの民家を見つけたときは胸が騒ぎました。
北陸地方は、広葉樹に重きを置く文化とばかり思っていたからです。
これまで、福井県から九州に移築されてきた民家を数棟見る機会がありましたが、
その多くは、クリやケヤキといった広葉樹が柱や梁に使われていました。
その土地の気候風土に適した素材と形と技術の結晶が民家である、とすると
五箇山のような豪雪地帯には、冬季の雪の加重に耐えるよう、
硬くて、しならない広葉樹を構造材に使ったほうが理に適っています。
事実、この日見学した、現存する合掌造り民家では最大規模の「岩瀬家住宅
(国指定重要文化財)の柱や梁の構造材は、総ケヤキ造り↓でした。
 

 
ところがこの岩瀬家住宅も、外壁に目を向けると、そこにはやはり杉の活躍がありました。
外壁だけでなく、庇(ひさし)にも屋根材として杉板が使われているのです。(↓)
 

 
相倉(あいのくら)地区の民俗館にある資料で、
五箇山の木材に関してこのような記述をみつけました。
 (抜粋はじめ)
*************************************************************
 
 古くから森林資源が豊かな五箇山は、文禄三年(1594)豊臣秀吉が伏見城を
築くのに五箇山の木材が使用されたことが「加越能古文書」に記されています。
 また江戸時代、加賀藩は木材の利用が拡がるのにつれ、用材の確保と調達の
ため「御林」といわれる藩有林をつくり「七木(しちぼく)の制」を設け、許可なく木を
伐ることを禁じ、村人に守らせて管理していました。
 藩の御用木「七木」は種類が決められていて、その内、五箇山では檜(ひのき)、
槻(けやき)、杉、栗の四種が御用木として明らかにされています。
 
*************************************************************
(抜粋終わり)
 
ケヤキ、クリという広葉樹と共に、杉、ヒノキといった針葉樹も重用されていたことがわかります。
その価値観は、風景にも如実に現れていて、先人たちの知恵に心動かされました。
 

(菅沼集落と共に世界遺産に登録されている相倉(あいのくら)集落)
 
合掌造りの民家群を取り囲むように、杉林が覆っているのがおわかりでしょうか?
これは、雪持林(ゆきもちりん)と呼ばれ、雪崩を止める役割を担っているそうです。
つまり、この地域において杉は、樹木として集落を覆うことで風雪から守り、
また、木材として家の外壁を覆うことで風雨から守るという役割を果たしているのです。
じつに奥深い、木の文化を垣間見ることが出来ました。
 
すっかり杉の文化ネタで暴走してしまいましたが、
今回の五箇山行きは、「(社)日本茅葺き文化協会」の設立総会、
および設立記念フォーラムに参加するため。
師である安藤邦廣教授(筑波大)が代表理事で、微力ながら私も理事として名を連ねております。
 

 
この日は、老若男女を問わず、170名余りの人が集まり大盛況。
とはいえ、今年2月に設立したばかりのこの会の会員は現在70名程。
茅葺きの文化と技術の継承と振興を図る、志の団体ですが、
国などの予算もなく、当面は啓発と会員の拡大がテーマ。
会員数200名をまずは目標としています。
趣旨にご賛同いただける方は、ぜひご協力くださいませ。
年会費5千円で、年4回会報が送られてきます。
(全国の茅葺き職人たちとも繋がっております。)
 
入会のご案内はこちら↓
http://www.kayabun.or.jp/nyuukai.html

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